能登半島地震の被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く日常を取り戻せますように。
さて、わたしは2023年12月31日から2024年1月8日まで地元の富山県に帰省していました。そして帰省2日目の1月1日に祖父の家で被災しました。(といっても被害はほとんどありませんでした!)
今回の帰省は、彼がわたしの両親に挨拶をするのが最大のミッションでした。12月31日の午後、彼といっしょに実家に帰り、予定通り彼は夕方の新幹線で戻っていきます。ミッションは無事クリアです!
わたしは一週間ほどのんびりしてから東京に戻る予定でしたが、なんだかずっと心がザワザワしている気がして、仕事がはじまるギリギリまで実家で過ごすことに。今の家族と今後自分が築いていく家族についてずっと考えていました。
1月1日のこと
1月1日、ゆっくり起きて午後から父と母と初詣に行きました。前日の雨でブーツが浸水してしまい、ダサすぎる足元。
新年早々決まらないなぁ(TT)なんて思いながら30分ほど並んで参拝し、そのまま近くにある祖父の家へ。先に従兄弟家族も来ていました。わたしがお正月に親戚の家に顔を出すのはかなり珍しいことだったため、従兄弟と会うのは10年以上ぶり。
一息ついて、どのタイミングで結婚報告を切り出すか考えながらスマホを手にした瞬間、強い揺れを感じました。
「地震だ!」と一瞬でわかりました。とはいえ東日本大震災以降、地震は珍しいものではなくなっていたため、テレビの画面に緊急速報が表示されたのを見ながら、結構揺れたな~とぼんやり考えていました。
すると、再び強い揺れが。しかもなかなか収まらない。とにかく長い。でも少しも動けない。倒れそうになるテレビを父が押さえ、動揺する祖父を叔父がなだめるのを見ることしかできませんでした。
実際に揺れていた時間は数十秒程度だったとあとから知りましたが、体感では2~3分に感じました。その間にいろんな考えを頭に巡らせてしまい、「死」をリアルに感じてしまったことが私の心をザワつかせたのだと思います。わたしは物事を映像で記憶するタイプなので、今も残像が頭から消えません。
祖父の家はかなり古いのでガタガタと音が鳴り、電気の笠がひっくり返りそうなほど揺れ、閉まっていたはずの扉まで開き、このまま潰れてしまうんじゃないかと今までにない恐怖を感じました。大人が10人集まっても、家が潰れてしまったら一瞬にして全員ぺちゃんこ。怖いものは怖い!
これは後日、改めて祖父の家に行ったときに撮影した写真。お風呂のタイルに亀裂が入り欠けていました。
また、新聞によると祖父の家から徒歩10分ほどの距離にある道路が陥没していたそうです。実家がある地域よりも祖父の家の方が揺れが強かったのかもしれません。
長かった揺れが収まって放心状態でいると、すぐに「帰る準備して!!」と父に言われました。続いて母も「ばーちゃんの様子見に行くよ」と。
母方の祖母は古い家で一人暮らしをしているため、様子を見に行くとのことでした。祖母の家や実家に帰るには橋を渡らなければいけなかったため、被害の全容がわかってから動き出したのでは渋滞に巻き込まれる可能性もあり、すぐに動く必要がありました。
ほぼほぼとんぼ返りで車に乗り込み祖母の家に向かうと、家の前で祖母の姿を見つけました。近所に住む若夫婦に保護してもらっていたようで、そういうところは田舎のよいところなのかなと思ったりもしました。心細かっただろうことは簡単に想像できます。そんなときに誰かが声をかけてくれるだけも全然違いますよね。
家族全員で若夫婦にお礼を言い、祖母の家に入り被害の状況を確認します。その間に祖母に泊まりの用意をさせ、そのまま家に連れて帰ってきました。
家につくと、旅行から帰ってきた妹が待っていました。車の音が聞こえたのか、玄関から飛び出してきて興奮気味に家の中の状況を伝えてくれる姿に、わたしはホッとしていました。安否確認はできていたけれど、実際に顔を見てやっと安心できるものです。
実家では、落ちた写真立ての当たりどころが悪かったようでガラスが割れていたけれど、物が落下するくらいで済んでいました。本当によかった。
地域的に津波の心配もなく、わたしの1月1日の行動記録はこれでおしまいです。
が…
12月31日に彼が帰ったあとに会っていた友人夫婦は東京に戻る途中の新幹線で缶詰になり
海外に新婚旅行中だった友人は海沿いにある実家と連絡を取ることになり
結婚報告のために会う予定だった友人は避難所から今回は会えないと連絡をくれて
別の友人も水が出ないから実家と家の往復で忙しくて会える状況にないと連絡をくれて
わたしの周りだけでもいろんな影響が出ていたことがわかります。
自分が生きてきた中で一番大きな震災を経験したことで、人生観が変わった気がします。ありふれた日常をもっと大切にしようと思いました。
家族について考えた
わたしの理想の家族はコミュニケーションがとれていることです。ドラマやアニメで見る家族は、いいことがあったときにすぐに報告して困ったときには一番に頼って。そんな家族を見てわたしは憧れていました。
一方で現実の家族とは、テレビを見ながら上辺のような会話はできるけど、うれしいことがあっても話せない。困ったことがあっても頼れない。日常的に悪口や噂話を浴びせてくる、ただ同じ家で生活しているだけの人たち。そんな風にしか思えませんでした。
そこに情や愛はなくても成立して、いっしょに生活していることに「家族」と名前が付けられている。これがわたしの「家族」の認識です。
旅行をしたりお出かけしたり、どの時代を切り取ってもきっと表面的には仲良し家族に見えていたと思います。でもわたしは家族に何も期待をしなかったし、諦めの気持ちで接していました。家族に対しての感情がとにかく「無」でした。
だけど、今回の出来事を通して親の「家族」に対する考え方が見えた気がします。
揺れている間、何も考えられず何もできなかったわたしに対して、両親は親と子ども両方のことを考えすぐに行動していました。
たったそれだけのこと。当たり前のことかもしれないけれど、これから彼と結婚するわたしに「家族」というものを見せてくれた気がしました。
コミュニケーションがうまくとれないからといって大切にされていないわけでもないし、いっしょに住んでいなくても家族は家族。
頭では納得できても気持ちの面では受け入れられなくて、気付くのが遅くなりました。
わたしは自分の親を好きになりたい。親との関係構築がうまくできなかったことが原因で、婚活中もいろんな認知の歪みに気付いてそのたびに「くそー(TT)」と思いながら向き合ってきたけど、きっとわたしは親を見捨てることはできないし、親を好きになることも諦められないみたいです。
そんなことを考えていたら、6日の新幹線をキャンセルして仕事がはじまるギリギリまで実家で実家に残ってしまいました。自分の心は難しいな。
彼と家族になること
長い揺れの中で本当に一瞬だけ、彼の顔が浮かびました。
わたしは彼よりも推しの四葉環くんの方が好きですが(言い切る!)、こういうときに顔が浮かぶのは出会ってまだ3ヶ月ちょっとの彼なんだなと自分でもびっくりでした。
彼の性格を考えるとすごく心配しているだろうことは想像できました。祖母の家に向かう車の中で無事を連絡すると、彼は勤務中だったはずですが、送った瞬間に既読になり「今電話しようとしていたところだよ」と返ってきました。すごくうれしかった。
彼はスパダリではないけど、彼なりにわたしを大切にしてくれているのが伝わってくる。それがとてもうれしい。
たぶんわたしは一人で生きていくこともできると思うんです。でも、彼とはいっしょに生活できると思った。それが彼と真剣交際に進んだ理由の一つです。
たぶん今、わたしは彼と同じ量の愛情は持っていなくて、同じだけの優しさは返せていません。でもわたしは彼を「同じ家で生活するだけの人」にはしたくないと思った。
もし自分に子どもができたら彼といっしょに守ってあげたいし、自分の親も彼の親も大切にしたい。そんな風に考えられるようになりました。
わたしの知ってる家族と理想の家族像には差があって、彼にもまた別の家族観があって。押し付けたり強制するのではなく、2人で心地よい関係を築いていきたいな。
家族って今もまだよくわからないけど、きっと正解を提示できるものでもないのだと思う。長い時間をかけて、人生全部使って、自分なりの答えをみつけていこう。